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ミツクニ
ミツクニ
安中市に生息

2021年06月16日

セールスドライバー










No.7
佐川急便が会社に荷物を届けに来て思い出した。川口にいたあの頃飛脚の佐川急便も関東で急激に営業を広げていたなあ。

本文

プロレスラーの様なガタイのいい男が2人、倉庫に入ってきた。
一人は彫りの深いイケメン、もう一人は頭ツルツルの強面。どちらも服を着ててもわかるムキムキマンで身体も大きい。
「荷物の出荷を扱わせて貰えませんか?価格は相談させて頂きます。」
運送屋の集荷時間に間に合う様に荷物を作るのに忙しくて苦労していた。
「何時でも集荷しますよ。」
ムキムキマンと話をするうちに、彼らは元佐川急便マンで新しく運送会社を立ち上げたところだと言う。
当時、佐川急便と言えば月100万稼げると有名であった。ただし、超スパルタ軍隊式で、全て駆け足、その厳しさは有名で佐川に入るのは、借金しているかよっぽど根性のある人間でないと務まらないと言われた。たしか、ワタミの創業者の渡邊氏も創業資金を作る為に佐川急便で働いたと聞いた事が有る。
セールスドライバーと呼んで、運転手に集荷の営業をさせたのも佐川急便で、セールスドライバーという言葉は、佐川の商標登録となっている。
流石、元佐川急便マン、セールスドライバーとして、仕事を取っていった。やる気満々の彼らに共感して依頼したのだが、いつも一緒になって、出荷、積み込みなどを夜遅くまで手伝ってくれた。
自分以外はパートの女性だったので、ムキムキマンは本当に力強かった。
佐川急便から独立して作った運送会社がNET47、宮岡運送である。川口の会社の近くにあったので、営業に来た様だ。川口市は足立区と隣り合っていて、足立流通センターがあったので、運送屋も多かったのかも知れない。
NET47て何?と聞くと、47都道府県にネットワークを築いて荷物を届けるんだと。見た感じ、まだ何台もトラックがない様だが、トラックの横に大きく書かれたNET47だけは、かっこ良かった。
宅急便のクロネコが出来たのが昭和51年、その後4年後の話しである。
今の会社で群馬に来て、カラー鉄板を工事で使う為、注文するのだが、一本40キロある鉄板コイルを40本から60本一度に配達してもらう。ドライバーは、このコイルを手降ろしで倉庫に運ばなければならない、キツい仕事だ。
手伝いたくも、腰をやられるので止める様言われている。
このトラックの横にNET47の看板を見た時は、まだあったんだと驚いた。25年振りぐらいの再会で思わずドライバーに、状況を聞いたものだ。一緒に夢を追った会社が今も活躍しているのは嬉しい。
















Posted by ミツクニ at 18:19│Comments(0)
 
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