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ミツクニ
ミツクニ
安中市に生息

2021年06月11日

ホダカ物産 自転車部品

No.5
本文
電気工事、防災点検、コーヒーメーカー組立、自転車部品の出荷請負。自転車部品の出荷業務は、穂高物産の社員との共同作業であった。当時はどの様な請負形態か分からなかったが、穂高物産の社長の武田が赤津に赤字を負わせることは無い事は分かった。
昼間コーヒーメーカーを組立、夜は捌き切れない程の注文をこなす為にピッキングを手伝い、夕飯を食べる暇もなく、川口から社宅のある足立区の綾瀬までエルフで通った。夕食を食べて家に着くのはいつも11時頃だった。
暫くして、赤津社長の地元日立の同級生が八百屋を辞めて、赤津の話に乗って、出荷業務の責任者としてやってきた。一緒に若い青年も連れて来た。私より年下で20歳くらいだったと思う。その若いのと、同じ部屋で暮らす事になり、通勤も一緒であった。
夢を語る漢気の者たちのやり取り。従兄弟のアニキと赤津社長のやり取りで、私の給料は無給、私も仕事を覚える為だからと納得。流石に無給では暮らせないだろうと、私の給料は、アニキの会社から10万円払うと。当時でもこれは問題外の額、学生時代東京で喫茶店でバイトが本職になってしまったが、20万稼いでいた。
男の夢に金の事は関係ないのだ。笑。たまに早く仕事が終わると赤津社長が夕食をご馳走してくれるのだが、ここぞとばかり、食いまくって仇を取った気になったものだ。今では一人前も食えなくなったが、若い頃は果てしなく食えたのが懐かしい。
一緒の若いのは、ひょろっとした細い体型で、体力も無かった。
たまの休みの前日の夜に、無理やり遊びに引っ張っていくのだが、うつらうつら船を漕いでたのを思い出す。



Posted by ミツクニ at 18:10│Comments(0)
 
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