QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
ミツクニ
ミツクニ
安中市に生息

グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  
Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2021年06月14日

 パーマン 藤子不二雄


No.6


本文
赤津社長は、いかにも学生の頃は悪大将という感じの熱血感。親分肌で人懐っこい顔で笑うところに惹かれた。
穂高物産の社長、武田光司は男でござると小説にも書かれたが、まさにその系統を継ぐ赤津博徳は男でござるそのものだった。
自分も凄く感化されたに違いない。失敗も成功も、こう言う人たちに影響された賜物だ。
また、私は男でござる系の社長に仕える事になるのである。
赤津社長は零細企業なのにどういうわけか、三菱商事とかいすゞ、紅茶を輸入していた丸の内の商社の担当を直接知っていた。
いすゞの人との接待に連れて行ってくれたり、丸の内のビルの打ち合わせにも連れて行ってもらった。そこで、第一エンジニアリングは、コーヒーメーカーの開発をしているという話を売り込んでいた。
実際、第二世代のコーヒーメーカーを開発しなければならないが、誰も専門家などいない。
当時、メイテックという技術屋集団の派遣会社が初めて出来て脚光を浴び始めていた。
その記事を読んで、これは使えるのではと。
新宿の高層ビルに訪ねて行って、担当者に話をした。メイテックなは、まだ家電の専門家がいないと話が流れたのか、上手くいなされたのかは、覚えていない。
広告代理店の広友社で、覚えているのは、企画書を当時まだ普及していないワープロを導入して、辿々しく使っていた事。
JALの鶴丸を考えた超有名デザイナーを使っていた事。
連休の時など、赤津社長は日立に、私は鹿島に帰省するのだが、日立を回って一緒に帰ろうと良く誘われた。赤津社長の自宅に寄ると、必ず泊まって行けと泊まらせられる。奥さんには食事、パンツの洗濯までしてもらって可愛がってもらった。
赤津宅の味噌汁は、味噌汁の様な吸い物の様な、潮汁風の味噌汁で初めての味でよく覚えている。
今思えば、血圧の高かった赤津社長の健康を考えての事だったのかも。
私を泊めたのも、実は奥さんと夫婦喧嘩中だったという事実も。
赤津社長には、男の子が2人いて家に帰ると、家からすぐの砂浜でキャッチボールするのが楽しみだと良く話していた。
下の子が5歳くらいの頃、良く川口の事務所に奥さんが連れて来ていた。当時パーマンという藤子不二雄のテレビアニメが流行っており、工事用のヘルメットに目と、耳をボール紙で作ってやって、パーマンごっこで遊んでやった。
その子が昨今、連絡を取って来て今ではFacebookで繋がっている。
現在、私は63歳、赤津社長も現在で73才のはず。







  
Posted by ミツクニ at 21:20Comments(0)