2021年07月05日
肝臓ガン
肝臓ガン
No.15
第一エンジニアリングの話しに戻ろう。
3年目位の時に、父親が肝臓ガンになり、当時は肝臓は切れないと言われていたが、波崎の労災病院にたまたま名医がいて、手術できることになった。手術は成功して術後も自宅で静養していた。
母とすれば今後の心配もあって、長男である私に帰って貰いたく、赤津社長に何回か手紙を出したようだ。
そういうこともあってだが、コーヒーメーカーの開発製造に、自分なりに行づまりを感じていた。赤津社長も父親を若くして無くしていて、それをきっかけに武田社長の所を去ることになった経験から、留まるように説得されたが退社して鹿島に帰ることになった。
帰省してまた、従兄弟のアニキに、懇意にしているやり手の社長がいるから、会ってみないかと言われる。その社長の会社はまだ小さいが、コンビナートの大手化学会社の仕事を直接しており、将来性抜群だと。
その社長とアニキの間の話では、私が入って仕事を覚えたら子会社を作るという事になっていた。また同じような話しなのだが性懲りも無くその社長宅にアニキと会いに行く事になるのである。
会社の後輩に、何で○野辺さんはうちに入ったの?と聞かれた答えがこれだ。
ここから先の話は、10年後に語る事にしよう。
Posted by ミツクニ at 19:20│Comments(0)