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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション at

2021年07月02日

農家の屋敷










農家の屋敷
No.14

今入母屋の和風、書院造り50坪を建てると坪80万で4,000万というところか。小学生の時に建てたのだから、自分の家の山と親戚の山から松の梁と杉の柱を調達して、庭で木の皮を剥いだのを覚えている。棟梁は、親父の明石の同級生、子方の若い衆と年配の職人の3人、かかっただけの常用払いである。材料、金物は当家が買って支給する。
当時最新の水冷クーラーを入れた。井戸水を使って冷却フィンを冷やす仕組み。鍋物がダイニングテーブルで出来るように、ガスの配管コンセントも床に取り付けた。お風呂は、灯油のボイラーで給湯する。村では初めての二階建てだった。
 母屋の新築の後に米の乾燥機が入る天井の高い物置倉庫も建てた。当時の屋敷内には、豚小屋、鶏小屋、杉の枝を入れておく燃料小屋、製茶のための大きな焙烙の小屋、牛小屋、肥料小屋、があった。直径2メートル程の丸い水槽があったが、何の為なのか覚えていない。防火用水かな?農業用の貯水?
 母屋以外に蔵と言って、蔵と隠居屋がくっ付いた建屋もあり、まだ健在だ。家の北側には1.5m程の土手が盛ってあり、その上に槙の生垣がある。他の三方は1.8m程の槙の生垣で囲われている。
庭には農家には珍しく古くからヒバや槙の植木が植えられて、灯籠や小さな池もあった。どの時代の誰が庭を作ったのか分からないが、物心ついた時から植っていた。
 なぜ農家には珍しいのか、昔米農家は庭一面に筵を引いて籾米を天日干しするので、植木を植える場所も惜しかったのだ。
 今でもあるが、屋敷の西側にニッキの木があり、子供の頃、誰に教わったのか、ニッキの根を掘って乾燥したものをかじるとニッキの味がした。タケノコの皮で梅干しを包んでしゃぶったり、ヤツデの実を玉にして竹鉄砲を作ったりしたものだ。


  
Posted by ミツクニ at 18:16Comments(0)